大きな樹がある
360度どこから見ても素晴らしい樹だ
けれど自分はそんな樹を庭に植えるのを良しとしない
存在感がありすぎて、誇張しすぎて
”ひとりで立派にやっていけます!”
そう言っているように聞こえるからだ

だから僕は樹を寄せて植える
この下枝があったら、もう少し樹高があったら、
足りない所を補うように、少しずつ助け合っているように
それを願い樹を植える

それが草花だったら、
その技術は僕にはない
だからなるべく立派な、一株で存在出来るような一株を探す

いつも思うのだが、この行為は
庭師といわれる人種と園芸家といわれる人種では真逆の行為をとる

庭師は木漏れ日を感じられるように樹を寄せて植える感覚と技術はあるのに
草花になるとやわらかく寄せて植える事が苦手だ

園芸家は風を感じられるように花を植える事が出来るのに
樹を植えるとシンボルツリーの様に堅苦しい

土、陽、風、雨
同じ素材を相手にしている者同士なのに、どうしてこんな差が出るのだろう
不思議なのは、”植える”という感覚は近いもの持っているはずなのに
現実的に違ったフォルムになるという事だ

ただ自然界は樹も花も矛盾なく、整然と、そして完璧に存在する

”植える”という行為
もう少し僕たちは真剣に考えなければいけないのかもしれない


                                                                                             by Inoue